manabiwa-nazekara’s blog

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「日ソ共同宣言」の裏には「米国政府」の圧力

 敗戦後の1956年10月19日、新生日本政府は「日ソ国交回復」を目的とした「日ソ共同宣言」にこぎつけた。当時の「鳩山一郎政権」は、前政権の「吉田茂政権」が「対米協調最重要視」の方針であったのと異なり、「独立重視」の「対米自主外交」を展開した。そして自らソ連を訪問し、「ブルガーニン首相」との間で「日ソ共同宣言」に調印した。

 「日ソ共同宣言」の主な内容は、①日ソ戦争状態の終了、②外交・領事関係の回復、③日本の国連加盟へのソ連の支持、④ソ連の対日賠償請求権の放棄、⑤平和条約締結交渉の継続と、締結後の歯舞・色丹島の日本への返還、などである。

 これより先、サンフランシスコ平和条約において「第3次吉田茂政権」は、「千島列島」と「樺太南部」、「これに近接する諸島」の権利を放棄していた。

 「ソ連」は上記の「宣言」内容④にあるように、「日ソ国交回復」交渉において、「対日賠償請求権」を放棄するとともに、内容③の「日本政府の国連加盟」に関し、「安全保障理事会」での「拒否権」を行使せず「賛成」すると表明し、1956年12月18日の国連総会では全会一致で承認された。

 「日ソ共同宣言」の内容⑤の所謂「北方諸島」に関しての交渉については、「鳩山政権」は「4島」返還を要求したが、「ソ連」は「国後島」と「択捉島」の2島については「解決済み」として応ぜず、「歯舞群島」と「色丹島」の2島は「平和条約締結後に返還する」とした。「鳩山政権」は後者の「2島」返還での決着に傾いたが、この時、アイゼンハワー米国政権(任1953.1~61)が「鳩山政権」に対し、「2島返還で決着するのであれば、沖縄県を米国の領土にする」と「圧力」をかけた。この後、ロシア(旧ソ連)は、「米国軍隊」を沖縄から退去させなければ「平和条約」を締結せず、「歯舞群島」と「色丹島」の2島も返還しない、という姿勢を続けている。「自民党日本政権」も「米国政権」に対し「米国軍隊」の「退去」を要求していない。

(2026年6月24日投稿)