manabiwa-nazekara’s blog

学びは、より良く生きるための分別を培い、幸福へといざなう!!

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

天皇家に「~さま」付けするメディアは差別(人権侵害)意識を生む温床

最近、天皇家の家族の公的行為に関する記事がメディアに頻繁に出てきている。たとえば、 2016年9月17日には、秋篠宮家の長女「眞子さま」について、パラグアイでの「日本人移住80周年記念式典」に出席するための訪問を終えて帰国した、とか、 2016年9月26…

湊川神社と楠木正成の世界への回帰を狙う安倍自公政権。皇居外苑には巨大な大楠公銅像が。

ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会 ランキング参加中SDGs ランキング参加中ゆるく、楽しく、不真面目にそして真剣に学ぶ社会派ブロガー 神聖天皇主権大日本帝国政府は、西洋諸国におけるキリスト教を模倣して、帝国日本臣民の精神的宗教的支柱とす…

『ベルツの日記(1904年11月12、16日)』:桂太郎内閣小村寿太郎外相の日露戦争の目的

日露戦争は、遼東半島旅順港外において、神聖天皇主権大日本帝国桂太郎政府海軍がロシア艦隊に対する奇襲攻撃を実施した事により始まったのであるが、その外相・小村寿太郎はその目的をどのように公表していたのかを『ベルツの日記(1904年11月12、16日。190…

『ベルツの日記(1905年8月27日)』:ルーズヴェルト米大統領の日露戦争の講和条約に対する姿勢

日露戦争(1904年2月~1905年8月)においても、米国の狡猾な世界戦略がうかがわれる事を、『ベルツの日記(1905年8月27日)』より以下に紹介しよう。 「ルーズヴェルトは講和条約のため、全力を尽くしている。一般にアメリカの世論は急変して、ロシア側に…

『ベルツの日記(1904年10月9日)』:大隈重信・憲政本党総裁は韓国併合をどう考えていたか?

日露戦争(1904年2月~05年8月)下、韓国併合について、当時、憲政本党(1898年11月~1910年3月)総裁であった大隈重信がどのように考えていたのかという点について、『ベルツの日記(1904年10月9日)』が興味深い内容を伝えているので以下に紹介しよう。 …

『ベルツの日記(1904年9月11日)』:第2次日韓協約(韓国保護条約)締結と欧米列強の反応

韓国併合をめざす神聖天皇主権大日本帝国政府は1905年に、大韓帝国(1897年)に対して第2次日韓協約(韓国保護条約)を強制的に締結させたが、メディアはそれをどのように報道したか? 又それに対して欧米列強はどのような反応を示したのか?ベルツは日記(…

ベルツの日記(1904年9月5日)に見られる第2次日韓協約(韓国保護条約)の内容

ベルツ(1849~1913)はドイツ人内科医で、1876年に神聖天皇主権大日本帝国政府に招かれ東京医学校・東大で内科・産科を講義した。1905年に帰国。『ベルツの日記』は長男トクがベルツ在日中の1876~1905年の日記を編集したものである。 菅沼竜太郎訳の岩波文…