神聖天皇主権大日本帝国第1次近衛文麿内閣時の1937年7月7日に 盧溝橋事件が勃発し、政府は「日中全面戦争」を開始した。その後成立した阿部信行内閣(1939.8.30~1940.1.14)は、1937年10月から開始した「国民精神総動員運動」の一環として、1939年9月1日から毎月1日を「興亜奉公日」と呼ぶ事に決めた。「アジアを興す事に奉公する日」という意味であった。具体的に何を決めたのか? 全国民は朝早く起き、天照大神を主神として祭る神社に参拝する。食事は質素な一汁一菜、禁酒・禁煙。そして子どもは弁当の副食に「梅干し」一つだけ入った「日の丸弁当」とするよう決めた。各自「勤労奉仕」に励み、飲食・接客業は休業というものだった。「興亜奉公日」は1942年1月8日からは毎月8日の「大詔奉戴日」(宣戦詔書発布日)に切りかえた。
ちなみに1938年5月「国家総動員法」施行以降、多くの「戦時立法」を制定し、違反するものを「非国民」として処罰した。「コメ」に関係したものを挙げると、1939年4月「米穀配給統制法公布」、12月「白米制限」。1940年5月「米穀供出強制措置決定」、10月「米穀管理規則公布」(コメの強制的買上制度〈供出制〉の実施)。1941年4月「6大都市に米穀配給通帳制〈1日に2合3勺〉」、11月通帳制全国に」。1945年〈2合1勺〉、さらに「7分搗き」、さらに「玄米」へと変更配給。
ついでに当時の流行語は、1939年は「産めよ殖やせよ国のため」「靖国の母」。1940年は「臣道実践」「万世一系」「八紘一宇」「一億一心」「バスに乗り遅れるな」「ぜいたくは敵だ」「国民服」「皇紀二千六百年」「隣組制度」。1941年は「子宝報国」。1942年は「欲しがりません勝つまでは」「月月火水木金金」「進め一億火の玉だ」。1943年は「玉砕」「転進」「撃ちてし止まむ」「学徒出陣」。1944年は「学童疎開」「特攻」「女子挺身隊」「鬼畜米英」「一億国民総武装」。1945年は「空襲警報」「神州不滅」「一億玉砕」。
(2025年12月21日投稿)